椎名町にある信頼のおける歯科・歯医者|大山登歯科

院長紹介


【略歴】
昭和44年    東京都練馬区生まれ
平成7年     九州大学歯学部卒業
平成7〜13年  医療法人弘進会宮田歯科勤務
       (平成12年〜池袋診療所にて副院長を務める)
平成13年5月  椎名町に大山登歯科開院

はじめまして。大山登歯科院長 大山登です。
当院は私のフルネームを医院名としました。
これは、覚えやすい名前であること、また、自分の行った診療行為に、自分自身でしっかりと責任を持ちたいと考えたからです。
診療においては、分かりやすく説明を行い、話し合うことで、信頼関係を築くことを第一としています。
正しいことを正しく行うこと、これを目標に努力しています。


座右の銘  一期一会
趣味    散歩、料理
家族    愛妻、愛娘

大山登とはこんなヒトです

生まれから小学校入学まで

我が家は自営業でした。
セーターの生地を機械で編むという、下請けの下請けのような仕事をしていました。毎日朝から夜まで機械の音が聞こえる家でした。
寡黙な父親と、元気な母親、そんなよくある家庭で、第二子として生まれました。第二子だけあって甘えん坊に育ちました。
幼稚園に入園した年の冬、家の外のバケツにできた氷で遊んだことが原因のようなのですが、その氷で指をけがして、そこからばい菌が入り、指がパンパンにはれてしまいました。それが、こじれにこじれてしまい、左手中指が動かなくなり、そこに腱を移植するなど、小学校四年生までに、計4回の入院、手術を行いました。
その入院、通院のため、幼稚園は退園を余儀なくされてしまったのです。
ただ、この経験の中で、お医者さんや看護師さんなどの医療スタッフと接したことが、僕が医療の道に進む上での第一歩になったのかもしれませんね。
豊島病院の阿部先生、やさしかったなぁ。なにをしてくれたのかの記憶はあまりありませんが、とってもやさしかった記憶は鮮明にあります。

幼少期の僕は、このこと以外は特に問題なく、楽しい日々を過ごしていました。よく歌をうたっていたそうです。
小学校のころ

小学校一年生から、剣道をはじめました。
夏は暑く、冬は裸足のため寒く、見たいテレビの時間に行かなければならないこともあったりで、あまり好きではありませんでした。そのせいか、あまり上達もせず、強くもなく弱くもなく、中途半端でした。
剣道というのは、中学生になると、初段の検定試験が受けられるようになるのです。
六年生になったころ、このままでは初段の試験に落ちてしまうかも、と考え、一念発起しました。
”一年間毎日休まず練習(素振り)しよう”
正直に言うと、おそらく一日二日は休んだ日もあったと思うのですが、日々、素振りをしました。
地道な練習はウソをつかないのか、みるみる、本当にみるみる上達しました。その剣友会の中でも、トップを争うようになりました。

この成功経験は、歯科医師になったあとも生かされました。
歯科医師として就職したとき、毎日、早朝、歯を削る練習をしました。地道な練習が結果につながることを知っていたからです。

四年生の夏休み、先述の左手中指の腱の移植手術を行うため、入院しました。未就学の時は、もちろん母親と一緒の入院でしたが、この時はひとりでの入院でした。
初日の夜8時すぎ、母親が帰った後、ドラえもんを読みながら涙がでてきたことは今でも覚えています。
中学高校のころ

母親は、僕に期待をしていました。いい高校、いい大学に行かせたいという考えでした。自分が青森の田舎の出身で、勉強したくても勉強させてもらえなかったことが、より一層、僕への期待となっていました。その当時としては当然の考え方だったと思います。僕も母親のこと大好きだったし、母親に喜んでもらえるように、期待に添えるようにと、いい高校に行けるようにがんばりました。
ですが、そのがんばりも叶わず、希望の高校には合格できませんでした。
しかし、この挫折は、結果的に、歯科医師大山登を誕生させることになります。
希望していた高校は、大学の付属高校で、その大学2校には、どちらも歯学部がなかったからです。希望の高校に合格していたら、違った道に進んでいたのかもしてません。

高校時代、将来について考えました。その当時の僕の浅い思考回路では、”サラリーマンにはなりたくない”という考えがありました。手に職をつけたい、人に相対する仕事がしたい、こんな考え方でした。その当時はサラリーマンというのは、すべて、
机に向かって仕事をしている、というイメージだったのです。子供すぎますね。
でも、その考えの結果、歯学部を目標とすることになりました。

ここでも挫折はついて回ります。
現役では合格できず、一浪でも、希望の東京の大学には合格できず、九州大学への進学となりました。
大学時代

結果的には、九州大学への進学は、自立心を養うという点で、とてもよかったことでした。
食事も、掃除、洗濯も、すべて自分で行うということは、親元にいては、なかなかできることではありません(掃除はあまりしませんでしたが)。
また、大学では寮生活をしたのですが、この集団生活で得た友人は、今でもとても仲良くさせてもらっています。寮についての様々なエピソードはまた別の機会に紹介したいと思います。

大学時代は、塾の講師というアルバイトをさせてもらいました。生徒のみんなに理解してもらうために、どう説明したらよいのか、よく考えていました。
今、治療の説明をするということに、この頃の経験は生きているのではないかと思います。
もちろん勉強もたくさんしましたが、はずかしながら、どちらかというと、留年しないようにとか、試験でギリギリ合格点を得られるようにとか、とても低いレベルでの勉強であったことは否定できません。

さて、大学時代に母親が他界しました。このことについては、ここでは深く触れることは避けようと思うのですが、あんなことしてあげたかったなぁ、とか、今でも考えることはあります。
歯科医師となって

今の、歯科医師としての自分があるのは、卒業後就職した歯科医院のおかげであることに間違いありません。
勉強をたくさんさせていただきました。
ひとりの患者さんを前にして、新人だから治療が上手にできなくてもいい、というわけはありませんから、時にはかなり厳しく、指導をしていただきました。そのせいで辞めてしまう同僚もいましたが、なんとかくらいついていきました。
平日は、早朝の練習から診療後の勉強会、休日は、出されたレポートのため図書館に通うという日々は続きました。
学生の時よりも、よっぽど勉強をしました。

今でも、歯科は日進月歩です。
常に勉強をしないと遅れてしまいます。
遅れはみなさんへの最良の治療を行えないことを意味します。
今後も、しっかりと勉強をして、安心して治療を受けていただけるよう努力します。

院外活動 

1.「障害者歯科」「特養老人ホームの訪問診療」

 

 豊島区歯科医師会の活動の一環として、持ち回りで障害者の方々の治療を担当しています。

 身体的・精神的な都合により、一般歯科で治療を受けることが困難な方々のために、充実した設備・スタッフで対応しています。

 ご希望の方は、豊島区保健所内のあぜりあ歯科診療所(03-3987-2425)にお問合わせください。

 また、こちらも持ち回りで特養老人ホームの訪問診療を行っています。 

 

 

2.「保育園園医」

 

 当院からほど近い保育園で、園医を担当しています。

 子ども達の歯の健やかな成長を願い、虫歯や異常の早期発見に努めています。

 私の娘もちょうど保育園に通っています(^_^)

 園の子ども達にも、パパ目線で接しています。

 

 

3.「豊島区警察歯科医会」

 

 身元不明の事件・事故があった場合に、その身元を調べるために、豊島警察署と連携して行う活動です。

 

 

4.勉強会、研修

 

 インプラントやレーザー治療などの新しい治療法や、日進月歩をつづける治療機器、薬品等についての勉強会・研修会にも、時間の許す限り参加しています。新しく得た技術・知識のなかで、自分が納得して患者さんにお勧めできるものを厳選しています。 

 

 

5.地元商店会の活動

 

 当院は椎名町駅前中央通り商店会に属しており、地域の活性化のため、商店会をあげてさまざまな活動を行っています。詳しくはこちらをご覧ください。


大山登歯科
〒171-0051 東京都豊島区長崎2-14-15西村ビル1階
03-5995-0080